2012年3月6日火曜日

言語習得論

1950年代から60年代にかけて、言語習得についての研究が本格的に行われた。当時、言語習得は、行動心理学と構造言語学を背景にし、刺激.反応のよる習慣形成であると考えられた。特に外国語習得は単なる成人言語の模倣であり、学習者の誤りは母語の負的な影響による生じたものであると認識された。
 1960年代後、Corderは、「誤り」が負的現象であるとまったく異なる主張を提出した。つまり、「誤り」は回避されるべきものではなく、言語習得の面において、不可欠な段階であるという観点である。例えば、英語母語話者の幼児は、動詞の過去形の習得過程で一定期間、不規則的な変形(go-went)を規則的な変形(go-goed)に使い違うことがよく発生する。これは、言語学習が明らかに成人言語の模倣ではないことの証拠である。このように、対象分析仮説は、誤り分析仮説に代わられた。誤り分析仮設は、誤りの多くが言語習得の発達段階における体系的なプロセスであることを指摘している。
 この誤り分析仮説には理論的背景として、チョムスキーの変形生成文法がある。チョムスキーは、人間には、抽象的な文法規則の習得を促す「言語習得装置」はあり、言語発達には、普遍性があるはずであるという仮説を立てた。その仮説によると、人間は、うまれつき脳のなかに「普遍文法」(英語、日本語、中国語などとは異なる)を揃えていて、わずかな「言語インプット」と接触することによって、その文法を修正しながら、目標言語の文法を完成させていくのである。
 最近まで、言語習得は外界からの刺激に対して反応が繰り返される習慣形成説によるか、習得中の言語に関して仮説を立てて、その仮説を絶えず検証しながら習得する生得説によるかが議論の中心であった。しかし、今は、この生得説を抜きにして言語習得を語ることはでっきない。

出典「日本語教育事典ーE言語.言語教育研究の方法」

2012年3月5日月曜日

言語の構造

言語にはいろいろな面で構造と呼べる性格が存在している。それについて、次の二つの特徴を指摘することができる。
 第一は、言語の世界の要素にはさまざまなものがあり、それらは互いに直接的に、または間接的に関係をもって、まとまった存在をつくっていると考えられる。これは、言語だけではなく、常識的に考えた場合の構造というものの一般的特徴である。
 第二は、言語において認められる構造は、単なるいくつかの要素から成る構成物ではなく、ある働きを行う仕組みであるということである。その働きとは、あることがらについての情報を言語記号の形に変換して表現する、そして表現された形から内容を把握するという一種の情報処理の過程である。
 日本語の語彙構造とは、言語を語彙、文法、音形、表記、談話、言語行動、待遇表現などの諸分野に分けて、それぞれの構造を取り上げることである。日本語の文法構造は、言語(全体の、または分野別の)における伝達の仕組みの一般的な枠組みないしは型をなす側面を対象とする。
 言語について、体系、組織、機構など構造に類似した意味でつかわれる概念がある。それらは構造と共通点もあれば、異なる点もある。たとえば、構造と体系は「対象とする言語の一般的な伝達のしくみ」を問題とする時は、両者とも使える(「日本語の構造」、「日本語の体系」)しかし、具体的なある文の文法的構成については「文の構造」といっても、「文の体系」とは言わない。

言語の単位

言語の単位とは、言語の分析、記述の方法のなかで、言語を構成する基本的な要素として設定されたものである。音声の分野での単音、音節、文法における形態素、単語、文はその典型的なものである。
 よく知られているよに各言語分野では各種の単位が使われている。次はその一部を挙げる。
 (1)語彙関係:形態素、単語、各種の単語の結合体など
 (2)文法関係:形態素、文節、句、節、文など
 (3)音形関係:単音、音素、音節、拍、モーラ、発話段落など
 (4)表記関係:個々の文字。漢字の場合では偏や旁などの部首の部分も単位と見ることができる。そのほか句読関係の記号そのほかの補助記号がある。
 (5)談話(文章)、言語行動関係:文、書かれた文章や音声言語による談話のさまざまなまとまり。言語表現、非言語表現を含む伝達の行動のまとまり。
 こうした言語についてのさまざまな単位の中で、長く間使われてきて定着されたものがいくつある。例としては、語彙や文の分野での文、単語などが挙げられる。ただし、名称として同じものとしても、その内容についての、定義や、実際の言語資料の例に適用される単位認定の方法は、研究者によって必ず同じものではない。一般的に、各分野でどの名称の単位を設定するかは、研究の目的.観点によって、言語の単位のそうした相対性に留意すべきだ。

2012年3月3日土曜日

言語理論の流れ

1草創期の言語学
 言語理論の起源は、ギリシャ.ローマ時代に辿ることができる。世界的に見えば、メソポタミアにおける辞書編纂、インドにおけるパーににのサンスクリット文法学(前4世紀)を配慮すれば、長い歴史をもっている。
 「言語学」という名称が十九世紀の初頭に登場した。フランツ.ボップが「サンスクリットの動詞活用組織について」の発表をきっかけに、言語が言語として純粋に対象とされるようになった。近代の言語学を確立するのは1816年以後のことともいえる。
 ボップたちが築いた草創期の言語学は「インドーヨーロッパ比較言語学」に名づけられる。この学は、英語人インド学習者ウィリアム.ジョーンズの説に触発されて生じた。彼は、インドの聖典に使われるサンスクリット語はギリシャ.ラテンの古典語やゲルマン.ケルト語と同じ源と主張していた。ここから、各国語の比較、ルーツ探し、親族関係の解明などが行われ、言語学は学問として成立するようになった。
 2:ソシュールの言語学
 ソシュールは比較言語の根底を疑い始めた。彼によれば、比較言語学は「言語とは何か」「言語の基本単位は何か」「言語の体系はどのようなものか」といった本質に触れなかった。
これに対して、ソシュールは「一般言語学」という領域を設定する。彼は、言語活動を「ランがージュ」、言語体系を「ラング」、個人の行使する言葉を「パロール」と区分したり、ラングを同時代的に考察する「共時的」視点と歴史に考察する「通時的」視点を区分したりする。言語の体系性と、その体系のなかでのみ規定される言語単位というものに注目し、体系の構造を探る方向と、単位の存在様式を考える方向とに道を開いていく。
3:構造言語学とチョムスキー
 言語単位の研究は「音韻論」を生み出した、その後、言語研究は音韻から語彙、語彙から言語構造へ歩んでいき、「構造言語学」が誕生した。
 かつてアメリカ構造言語学は語彙論的分類の方面にばかりこだわりがちだが、それに不満をもているノーム.チョムスキーが統語論的法則を重視する姿勢を取り出した。
 彼は、言語の具体的なさまざまな現れを「表層構造」、個々人が基本能力としてもつ抽象的記語列を「深層構造」と呼ぶ。後者から前者がどのように実現されるか「樹形図」によって表し、その操作を全体を「(変形)生成文法」と名づけた。

2012年3月2日金曜日

語の共起関係

ある語が文中で用いられるときに、共に用いられる他の語や句などの要素との関係を共起関係という。語の共起関係をみれば語の用法が捉えることがある。共起関係には次のような場合がある。
 (1)どんな格と共起するか:動詞や形容詞が述語になると、ある一定の名詞の格を要求するが、どんな格とともに用いられるかによって用法が異なる。「葉に絵を描く」「葉を抽象的に描く」が表す意味が異なる。「経済状況が厳しい」「学生に厳しい」に「厳しい」の意味も一致ではない。 

 (2)どんな種類の語と共起するか:「丸い顔」と「明るい顔」、前者は形を形容する
修飾語で後者はる気分を形容修飾語であり、異なる意味を表す。「しっかりつける」のように対象の変化を引き起こすことを表す類の動詞と共起した場合と「しっかり見る」のように対象とのかかわりを表す類の動詞と共起する場合では意味も異なる。
 (3)どんな表現形式と共起するか:「もちろんお金が大切だが、自由的な時間がほしい」のように譲歩形と共起する場合もあれば、「お金がほしいのはもとろんだが、時間の自由な仕事がいい」のように譲歩節と共起する場合もある。
 (4)そのほか:「全然」は「全然面白くない」など否定の形式と共起するほか、「全然ちがう」など否定的な意味を表す一部の語と共起する。また、話し言葉で「全然平気」などプラス評価の述語とも共起することがある。

出典:「日本語教育事典ー3F語の用法」

2012年3月1日木曜日

形態素

形態素とは、意味を有する最小の言語単位をいう。「足跡(あしあと」の「足(あし)」と「跡(あと)」はいずれも意味を持っている。さらに「あ」「し」「あ」「と」に分けると、意味を持たない形式になる。それゆえ、「足」と「跡」は形態素であり、「あ」「し」「あ」「と」は形態素ではない。また、「本棚(ほんだな)」は「ほん」と「だな」二つの形態素から成るものである。「だな」は「棚(たな)」と「ほん」と結合して音形が変化したもので、語彙的な意味は変わらないので、「たな」と同じ形態素と考えられる。
 単独であるいは二つ以上の形態素を結合した語もあれば、単独で語となれない形態素もある。(1)付属語(助詞.助動詞)、(2)接辞(接頭辞.接尾辞)、(3)造語成分としての字音語(「医者」「校医」の「医」)(4)実質的な意味を持っていて接辞といいにくいが造語成分ともやや違うもの「積極.民主など」
 外来語の形態素には、日本語で独特な意味を持たせるもの(「マイカー」)と原語の一部が日本語で形態素となるもの(「バイト代」)がある。
 原則として形態素が意味を持つ言語単位であるが、複合語や慣用句には意味が明瞭でない要素(「すき焼き」「めくじらを立てる」)もある。これらは「無意味形態素」と呼ぶ。複合語や慣用語が要素の組み合わせ全体で意味を表すので、中の要素の意味が希薄であってもかまわない。

2012年2月29日水曜日

語の分類

語はさあまざまな角度から分類することができる。以下に代表的な分類の基準を示す。
 1語形による分類:普通の国語辞典は五十音順に配列されている。これは語形による分類配列の一種である。また末尾音から順に五十音順に配列し、「逆引き(逆順配列)」と名づけられるものもある。
 2文法的機能による分類:代表的なのは品詞分類である。橋本文法に基づいて学校文法には、「動詞.形容詞.形容動詞.名詞.副詞.連体詞.接続詞.感動詞.助動詞.助詞」という、よく知られた10品詞に分けられている。
 3意味による分類:概念の世界を分類し、その分類項目に同じカテゴリに属する語を当てはめていく。代表的な語彙表は「分類語彙表」である。まず品詞に基づいて「1.体の類(名 詞)」「2.用の類(動詞)」「3.相の類(形容詞)」「4.そのほかの類」と大分類し、それをさらに「部門」「中項目」「分類項目」と細分化していく。各項目にはその意味領域に該当する語が並んでいる。この分類法には、類義関係、対義関係、上位.下位.同位の関係などがわかりやすいという利点がある。
 4出自による分類:語の起源や由来によって分類したものが語種である。日本固有の「やまとことば」や漢字で書かれても訓読みする「和語」、漢字で書かれて音読みする「漢語」、中国以外の外国から入ってきた「外来語」、さらに、異なる語種が組み合わされたもの「混種語」がある。
 5位相による分類:音声言語.文字言語という表現様式の違いや、年齢.性別.職業.地域など生理発達的.社会的背景の違い、また、心理的な要因yあ私的.公的などの場面によって、同じものを表す言葉が異なる姿を呈することがある。方言や待遇表現なども位相の問題として取り扱われる。
 6使用頻度による分類:日常の生活でよく使われる語を「中心語彙」、一般にはあまり用いられない専門用語.特殊な職務上の語.方言.俗語などを「周縁語彙」という。また、表現のために欠かせない語をできるだけすくなく人為的に選ぶ「基礎語彙」と語彙調査を基に帰納的に選ばれる「基本語彙」の分け方もある。学習者の立場からいえば、まず、「基礎語彙」を習得し、「基本語彙」に進むのが一般的である。一方、個人のレベルによって、理解ができるが使用することのない「理解語彙」と理解だけではなく表現にも使用できる「表現語彙」の分類がある。
 7語構成による分類:語構成論的に見ると、すべての語は「単純語」と「合成語」にわけられ、さらに「合成後」の中でも「複合語」と「派生語」に分類できる。

2012年2月28日火曜日

連語

連語とは、二つ以上の語が組み合わせ、一つの語よりも複雑ではあるが一まとまりをなす概念を表すものをいう。「語」の認定とかかわって、大きく異なる二つの捉え方がある。(1)付属語(助詞、助動詞)も語とする立場では、「作文を」「書かせた」「計画について」などが連語となり、(2)自立語のみを語とする立場では、「作文を書く」「会社に勤める」「広い公園」などが連語である。
 (1)の立場では、助動詞とほかの語とが結びついて一つの用語のように働く連語を「活用連語」、助詞とほかの連語とが結びついて助詞のような働きをするものを「助詞相当連語」ということがある。「食べさせられたかったらしい」は一つの長い活用連語である。また、助詞相当連語において助詞と結合している語には、もともと独立の語であったものが、文法的な要素になったと考えられるものが多い。なお、国語辞書で、「なにがなんでも」「かもしれない」のように、組み合わせが緊密で要素の意味から全体の意味を推し量りにくい形式を見出し語とするときに、その品詞表示にかえて「連語」と記されることもある。
 (2)の立場では、単に複数の自立語から成る形式だけではなく、二つまたは三つ以上の自立語が一つが軸となり、他がそれに従属する関係で組合わさって実現の1断片を名づけているものを「連語」とすることがある。意味的には、軸となる語(「書く」「会う」など)の語彙的な意味を、従属する語(「作文を」「友人に」など)が狭めるという形で結びついている。そしてこのような連語では、連語の要素である語の語彙的な意味と連語の構造としての文法的な意味とが相互に影響を及ぼし合っている。

2012年2月27日月曜日

語彙学習

日本語学習者は、完全に「使いこなせる」レベルには至っていなくても、言語行動のなかで有意義に語を使っている。つまり、中間言語における語彙の習得にはさまざまな深度があり、ある語を「まったく知らない」というレベルと「完全に使いこなせる」レベルとの間には無数といっていいほどの段階がある。語の習得は、「形式」「意味」「用法」に関する知識を少しずつ積み重ねていくことによって進んでいく。習得の深度が深くなってく過程を認知活動との関連から見ると。次の三つの段階が考えられる。
1:「気づき」:学習者がある語について「未知である」と認識し、その語の形式と意味の照合を行うこと。具体的には、「辞書を引く」「その語について教師の説明を求める」「文脈からその語の意味を類推する」などして、意味を認識することである。この段階では、文脈の中でその語を取り出して意味を確認することになる。この文脈のから取り出しがないと、文全体の意味は理解しても語の習得としての進展はないと考えられる。
2:「想起」一度「気づき」を経った単語に再度出会った際、前回の「気づき」の記憶に再度アクセスすること。具体的には「この単語は前にも聞いた/見た」と想起することである。同じ語に繰り返し接触することは習得の大事な要件だが、それが「繰り返し」であることを学習者自身が認識することが「想起」であり、「想起」を伴わない繰り返しは学習者にとって初めての接触と同じである。
3:「生成」:すでに接触経験のある語に以前とは異なる文脈で出会うこと。さまざまな文法形式やさまざまな語との組み合わせによる接触を重ねることで、その語に関する知識に幅や深さが加わっていくと考えられる。
 「気づき」「想起」「生成」の過程を効果的にへるための具体的な学習活動の条件として、次のようなことが考えられる。
1:同じ語への繰り返しの接触を記憶が薄れないタイミングで得るようにする。
2:同じ語にできる限り多様な文脈のなかで接触するようにする。

2012年2月26日日曜日

発話行為

言葉を使うことによって、じつに多くの活動を行っている。あいさつをしたり、情報を伝えたり、ものを尋ねたり、命令したり、忠告したりさまざまな行為を行っている。このような行為を発話行為と呼ぶ。
 遂行動詞__何らかの発話の効力を明示的に述べる動詞を用いることによって、その発話行為が遂行されることがある。そのような動詞を遂行動詞と呼ぶ。日本語には、「断言する」「抗議する」のような事実陳述型、「命ずる」「頼む」のような行為指導型、「約束する」「誓う」のような行為拘束型、「謝る」「感謝する」のような心理表出型、「宣言する」「命令する」」のような宣告命令型などがある。
 間接発話行為__遂行動詞を使ったり、字義どおりの表現を使う発話行為は直接的なものだが、表現の形式ではなく、発話が果たす機能に注目すると、間接発話行為が提出される。例えば、「ちょっと、その本を見せていただけませんか」のような文は、疑問文だが、通常は「質問」ではなく「依頼」をしていると考えられる。私たちの日常生活には、このような間接発話行為がしばしば見られる。

 慣用化間接発話行為__頻繁に行われる間接発話行為を定式化すると、慣用化間接発話行為になる。「~さんはいらっしゃいますか」は、電話で取り次ぎを「依頼」する表現として、また「~していただけませんか」という表現は、「質問」ではなく、丁寧な「依頼」と一般に捉えられている。

2012年2月25日土曜日

造語法

造語法は新しい語を作り出す方法である。造語法としては、語根創造と既存の言語要素を利用した造語の二つしかない。語根創造とは既存の言語要素を利用せずに、まったく新しい語がつくられることを言う。現代においては語根創造によりまったく新しい語がつくられるのは、擬声語.擬態語を除いてほとんどない。大部分の造語は既存の語を基につくられるが、「合成法」「転成」「略語」「借用」「混淆」「逆成」「文字.表記によるもの」などの方法がある。
 合成法_合成法とは、複数の形態素を結合させて語をつくる方法で、二つ以上の語基から成る複合法と、語基と接辞からなる派生法と大きくわけられる。複合法によってできた語を複合語といい、「テロ対策」「飛び上がる」などがある。派生法によってできた語を派生語といい、「不自然」「積極性」などがある。
 転成_転成法とは、既存の語の機能や意味を変えて、別の品詞の語としてはたらかせることをいう。動詞の連用形「休み」「怒り」など、そのままの形で名詞に転成するものが多い。また。副詞.接続詞.連体詞.感動詞は転成によって元の語の品詞を転じてできたものが数多くある(「例えば」「つまり」「もしもし」など)。
 略語_略語は語の一部分が省略されることによって語形が縮約されたものである。発音上の便宜から短縮化された略語が大半であるが、隠語や流行語のように特定の仲間内だけに通じるよう故意につくられたり、娯楽的な目的でつくられたりした略語もある。略語4モーラのものが最も多い。語種から見ると、外来語と漢語に略語が多い。これは元の語が使用頻度が高いのに長大な語形が多いためである。省略される部分は「(アル)バイト」のように語頭の場合と「警(察)官」のように語中の場合と「インフレ(ーション)」のように語尾の場合がある。
 借用_借用は広義では異なる言語あるいは古語.方言から語彙を受け入れることで、前者を外部借用、後者を内部借用という。「外部借用」は、日本語の場合、大きく二つの系統に分けられる。一つは古代中国語から受け入れてきた多くの語彙の場合であり、その借用語を漢語あるいは字音語と呼ぶ。もう一つの系統は、外来語あるいは洋語とよばれるものである。それに、外来語に対しては借用語意識が強いが、漢語は固有語に近く扱われている。
 混淆_混淆は、「破るの前部分と裂くの後部分をつないで「やぶく」のような新語をつくることをいう。元来はいい誤りや記憶違いが広がり、それが固定して出来たといわれる。近年は生物界における混種、「smog(smoke+fog)」のような混淆語が見られる。
 逆成_逆成はもともと派生語ではない語の語末部分を派生語尾をと考え、その語尾を切り離して別の新しい語をつくりだすことであるが、日本語の例は少ない。英語ではこの逆成によってなどの接尾辞を取ってつくられた動詞が多い。(beggar_beg、editor-edit)
 文字.表記による造語_文字.表記による造語は日本語の場合、ほかの言語にくらべて多い。これはひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字の4種の文字を併用しているからである。「米寿」(八十八歳。「米」を分解すると八十八になることから)「Tシャツ」はローマ字の字形に由来する。文字.表記による造語はもともとは誤写や誤読によるものが多かったが、近年、風刺性、娯楽性を意図した意識的な造語が増加している。

2012年2月24日金曜日

語用論

言葉の実際に使われ方と、それが聞き手にどのように伝達され、解釈され、話し手との相互行為に影響を与えるかにかかわるさまざまな研究は、語用論と呼ばれる。
 「コミュニケーションは文法的な知識のみによっては達成できない」という考え方は、語用論に共通している。文法以外にも、パラ言語、非言語、コンテクスト、社会言語学的知識、社会文化の知識、コミュニケーション参加者間の相互交渉など要素がコミュニケーションの達成に関連している。私たちは、協調的な社会生活を行うために、一定の基準を共有し、それをしたがって行動している。これによってグライスは「協調原理」を提唱した。日常の会話は、以下の四つの公理に基づいて行われている。
 (1)量的公理:必要とされる情報を与え、必要以上には与えない。
 甲:これは何ですか。
 乙1:用紙です。
 甲:何の用紙ですか。
 乙2:日本語教育能力検定試験の申し込み用紙です。
__乙1は、甲の知りたい情報をすべて提供していない、量の公理に違反している。

 (2)質的公理:真実でないこと、十分な証拠がないことは言わない。
 甲:日本語試験はいつですか。
 乙:(よく知らないのに)2月28日ですよ。
__乙は甲に対して、その情報を知らないのに答えている、質の公理に違反している。

 (3)関係的公理:関連のないことは言わない。
 甲:今晩、飲みに行きませんか。
 乙:明日、試験なんです。
__乙の答えは、言葉の表面的意味からは関係的公理に違反している。実際には甲の誘いと関係が付いている。この発話に関連性があるとすれば、何らかの含意が含まれているはずだ。すなわち「明日試験です」という理由の後には、「今夜は勉強をするから飲みにいかない」が隠されている。

 (4)様態の公理:不明確、あいまいな表現を避け、簡潔で順序だてた話方をする。
  甲:電車と自動車が衝突した。電車の運転手が気絶した。
 乙:電車の運転手が気絶した。電車と自動車が衝突した。
__甲と乙も、実際に起きた出来事を「客観的に」「正確的に」述べている。しかし、甲の主張は「衝突したから気絶した」、乙の主張は「気絶したから衝突した」と解釈されて、同じ出来事なのに、因果関係が正反対になる。したがって、甲か乙のどちらかが様態の公理に違反している。
 言葉の推論は瞬間的に行われ、表現が慣用化していることもあり、推論の過程が意識にのぼることはあまりない。また、背景となる社会や文化が違えば、推論の過程や含意の理解のしかたも違う。この認識が十分でないため、外国語学習者と母語話者間で誤解が起こったり不快感を感じたりすることがある。教育では、以下のようなことを心にとめておく必要がある。
 (1)辞書の意味や文法知識のみではなく、状況に依存したことばの意味に注目すべきだ。
 (2)言語事象の理解や受容には、学習者の社会的な背景が大きく関与するため、価値観の押し付けにならない教育が必要だ。

2012年2月23日木曜日

学習動機

人々は言語を学習したいと考える要因として学習動機が挙げられる。動機とは、ある目標に向かって行動を起こさせる内的要因であり、動機付けとは、行動をおこさせ、一定の目標に方向づけ、目標に到着するまで持続させる過程や状態を総称していう。学習動機は大きく二つに分類されている。
 一つ目は、外発的動機付けと内発動機付けという分類である。外発的動機付けとは、報酬や競争、他者からの評価など、外部からの報酬や評価を得たいという動機付けである。外発的動機付けを喚起する方法として、賞賛する、叱責する、是認、否認を与える、競争や協同などの社会的動機付けを活用する、などが挙げられる。内発的動機付けとは、学習者の知的欲求や好奇心など、内的な欲求による動機付けである。目標を明確に示す、目標の持つ価値への認識を深めさせる、達成への願望を高める、知的好奇心.興味.意志を高めるなど内発的動機の喚起に役立つ方法が挙げられる。
 二つ目は、統合的動機付けと道具的動機付けという分類である。統合的動機付けとは、学習者が、目標言語を話している人たちの社会や文化を理解し、その世界の一員となりたいという欲求による動機付けである。道具的動機付けとは、進学試験に必要、就職に有利といった、実利的な目的を達成したいという欲求による動機付けのことである。
 多くの学習者にとって、外国語を学習する動機が上記のいずれかだけであることはあまりなく、二分するとそれ自体に問題があるという指摘もある。

2012年2月22日水曜日

モニター理論

クラッシェンが提唱したモニター理論は五つの仮説になっている。
1:言語習得仮説:第二言語のコミュニケーション能力開発において使われる知識には有意味なコミュニケーションを行っている間に起こる言語獲得と意識的な学習によって起こる言語習得があり、コミュニケーション能力の開発では両方が必要であるが、前者がより重要な役割を果たし、後者は言語習得におけるインプットのプロセッシングを円滑にするものである。
2:インプット仮説:コミュニケーションのコンテクストで学習者が発話を理解したときに言語習得が起こる。したがって学習者はインプットの意味に注意を十分払うべきであり、教師は学習者が意味がわかるようにインプットを与える配慮をするべきである。学習者の現在の能力よりも少し上のレベルでインプットを与えたときに言語習得が最も効率的に起こるという「I+1」仮説である。
3:モニター仮説;(1)の習得による知識で外国語の運用能力を身に付けるのに第一義的な役割を果たすのは、学習による知識は生成する言語を編集したり、モニターする役割しか果たさず、十分な時間がない限り使われないとする説である。この仮説は外国語のクラスでは言語獲得のための活動に重点を置くべきであるという主張につながっている。
4:文法獲得の自然的順序の仮説:文法項目の獲得はある予測された普遍の順序に従って起こるが、われわれはこの「自然な」順序についてはまだ完全にわからないため、クラスにおける文法項目の学習と文法項目の獲得の順序には差がある。また、よいインプットと十分なコミュニケーションの経験がある限り、言語習得は文法学習とは関係なく起こる。したがって外国語教育のシラバスは意味に基づいたもののほうが効果的である。
5:情意的フィルター仮説:外国語習得は情意的にポジティブな環境でのみ起こる。学習者の動機づけが高く、自分に自信があり、不安なくインプットに集中できるときに言語学習が起こる。したがって、外国語のクラスはリラックスした雰囲気で、学習者に興味のある内容を扱い、学習参加者がお互いに助け合う気持ちをもち、よい関係をもつyおうにすべきである。

2012年2月21日火曜日

異文化への移行体験の諸相


認知面
感情面
行動面
アドラーの解釈
第一段階ー
異文化との接触
文化的差異に興味をそそられる。新しい文化を自文化の視点から見る。文化の深さの違いは認識されない。
興奮、刺激、幸福感、陽気、発見。
今までの行動パターンを維持する。それによって自信を持って行動できる。好奇心や興味をもつ。印象に基づき行動する。
自文化によって異文化から隔離され、守られている。文化の相違点、共通点は自分の地位、役割、アイデンティティーを引き続いて確約してくれる正当な理由を与えられる
第二段階―
自己崩壊
人の行動、考え方や価値観の違いが衝撃的に大きく目につく。それが頭から離れない。
混乱や孤独感、無力感を感じ、自信を無くす。アイデンティディーに疑問を感じる。
どのように行動してよい分からなくなり、抑鬱的になったり、引きこもりがちになる。
文化の差異が妨げになる。自分は違うという意識が増す。文化的な支えとなるつながりをうしない、新しい文化状況での手がかりを読み違える。
第三段階―
自己再統合
自文化と滞在国との文化の差を拒絶する。
怒り、激怒、いらいらする、不安、フラストレーション。
滞在国の文化のすべてを拒絶する。独断的になり、滞在国の悪口を言ったり、その文化の人々をステレオタイプ化する。排他的になり、自分か出身の人のみと接する。自分の直感に基づき行動する。
異文化の拒絶により、好き嫌いに異常にこだわるようになる。異文化に自分の感じている困難さを投影する。しかし、否定的な行動は自己肯定と自尊心の成長の現われである。
第四段階―
自律
文化の共通点と相違点をありのままに受け入れることができる。
リラックスし、「自律性を獲得した」という満足感を持てる。滞在国の人に温かく接したり共感を示せる。
滞在国の文化の言語や非言語コミュニケーションも無難にこなす。新しい状況や考え方にたいして柔軟に対応でき、応用力も付いてくる。自信をもって行動できる。
言語的にも社会的にも新しい状況、今までと違う状況、今までと違う状況を切り抜けられるようになる。新しい経験を乗り終える能力に自信をもつ。


2012年2月20日月曜日

誤用研究

誤用研究は、学習者が犯す誤りについて、どのような誤りが存在するのか、どうして誤りをおかすのか、どのように改正すればいいかなどを考え、日本語教育などに役立てようとする研究である。
 誤用に二つの方向から捉えることができる。一つは、文法的な正確さに関わるもので(1)、もう一つは文章、談話としての適切性にかかわるものである(2)。
 (1)きのう東京にいきます。
 (2)先生に相談したところが、忙しいって言われた。(文法的には誤用とはいえない。しかし、硬い文章であれば、不適切な誤用となる)
 第二言語習得研究の立場では、外国語を学習する過程で誤用をするのは当然で、それはそのことばを習得するための一つのステップであると考える。母語の影響に受けて生じる誤用と自然習得順序により、母語に関わらず、普遍的な習得順序が存在するため、ある段階で必ず起こる誤用がある。
 誤用は大き6つのタイプに分類できる。
 (1)脱落、当該項目を使用しなければならないのに使用していない誤用。
 (2)付加、脱落と逆に、使用してはいけないところに使用している誤用。
 (3)誤形成、活用.接続のしかたなどの形態的な誤用
 (4)混同、ほかの項目との混乱による誤用(自動詞.他動詞、テンス.アスペクトなど)
 (5)位置、その項目の文の中での位置がおかしい誤用。
 (6)そのほか
 誤用研究の目的は二つに分けられる。一つは、第二言語習得理論や日本語文法理論として専門化される、理論的アプローチにむかう方向、二つ目は、日本語教育への貢献、つまり誤用を分析評価し、教材.テスト作成、教授法への応用を考えることである。

2012年2月19日日曜日

「は」と「が」の違い

「は」と「が」の使い分けは、日本語学習者にとって最も難しい文法項目の一つだと言われている。よく説明されるのは、「は」はその文が何について述べるかということ、つまり主題を表す助詞である。「が」は「を」や「に」と同じく格を表す格助詞であり、動作や状態の主体、つまり主格を表す。「は」と「が」の使い分けは、次の4つについて説明する必要がある。
 1:有題文と無題文
 有題文と無題文の使い分けには、述語の種類や主格名詞の種類、談話の中での機能などが関係ある。述語の種類については、述語が恒常的な事態や繰り返し起きる事態を表すときは、有題文になる(1)。一時的な事態や一回限りの事態を表すときは無題文になる(2)。主格が「だれ」や「なにか」のような不定名詞のときは、無題文になる(3)。また、有題文は、前の話題を継続する機能をもっている。無題文は、新しい話題を設定したり、話題を転換したりする機能をもっている(4)。
(1)私は東京に住んでいる。
(2)雪が降ってきた。
(3)だれかが大声で叫んでいた。
(4)むかしむかい、ある村におじいさんが住んでいた。ある日、おじいさんは山へ木の枝を取 りに行った。
 2:顕題文と陰題文
 主題を持つ文には、主題を「は」で明示する顕題文(5)と、主題を「は」で明示しない陰題文がある(6)。顕題文では、文のさまざまな成分が主題になれる。陰題文では、述語の部分が主題になっている。
(5)あの人は社長さんです。
(6)あの人が社長さんです。
 3:文の中と節の中 
 従属度が高い節の中では、基本的に主題を表す「は」は使わない(7)。複文で主文の主格と節の主格が同じときは、主格が主題になって「は」で表されるのが普通である(8)。従属度が低い節の中では、単文や、複文の主文の中と同じように、主題の「は」が現れる(9)。
(7)私が高校生のとき、父がなくなりました。
(8)私は高校生のとき、テニス部でした。
(9)私はこの小説は面白いと思う。
 4:対比と排他
 「は」は対比を表すものであり、「が」排他を表すものである。対比されるものは、同類のものであることが多く、述語は「する」、「しない」のように対立的なものであることが多い(10)。一方、排他の「が」は、典型的には、比較のを表す構文、つまり「~より~のほうが」のような形の文で使われる(11)。
 (10)私は教育学は勉強したが、心理学は勉強しなかった。
 (11)日本より中国のほうが広い。

2012年2月18日土曜日

モダリティ

モダリティとは、文の中で話し手の主観的態度を表す部分である。モダリティは文の外側に現れ、ことがらに何らかの内容を付け加えているわけではない。日本語の文は命題が文の内側に現れ、それをモダリティが包み込むのような構造をしている。
 モダリティは典型的には発話の瞬間における話し手の心的態度を表すものとして規定される。いくつかの種類がある。
「遅刻してもいい」のようにことがらに対する評価を表す評価のモダリティ、
「疲れているようだ」のようにことがらの真偽に対する判断を表す認識のモダリティ、
「傘を忘れました、急いでいたんです」のように別の文との関係づけを表す説明のモダリティ、「彼女はそこにいるよ」のように聞き手への伝え方を表す伝達のモダリティなどがある。
 平叙文や疑問文、命令文といった文のタイプや丁寧さのような発話態度に関する要素がモダリティとして捉えられることもある。

2012年2月17日金曜日

アスペクト

アスペクトとは、進行中かどうかなど、動きの局面の捉え方に関する表現のグループである。動作の始まる前の段階から結果の存続までどういう位置においているのかに注目する。形態的には、無標のスル形か状態としての捉え方になるシテイル形かの選択がアスペクトの中心的な形である。「また食べていない」のように未完了状態、「結婚している」「死んでいる」のように結果がそのまま残されること、「服を着ている」のように動作の進行を表すこと、アスペクトの具体的な表現として挙げられる。
 金田一(1950)による、シテイルに着目し、動詞は「状態動詞」(「ある」など、テイルがつかない)、「瞬間動詞」(「死ぬ」など、テイル形が結果)、「継続動詞」(「歩く」など、テイル形が進行中)、「第4種類の動詞」(「優れる」など、いつもテイル形)に分類される。
 また、アスペクトに関わる生産的な複合動詞は大別2類に分類される。一つは、時間的な局面だけを表す「しかける」「しはじめる」「しだす」「しつづける」「しおわる」などであり、もう一つは、「しつくす」「しきる」「し通す」などの内容的な完遂を表すものである。「しかける」は動詞の語彙的意味の制限が最も緩やかで、動きの動詞が全般に共起できる。「しはじめる」「しだす」は、動きの始動段階を表す。「しつくる」「しきる」「しとうす」「しおわる」は、内容的に完遂することを表す。「しつづける」は進行過程がある場合にも、変化結果の維持の場合にも使える。

2012年2月8日水曜日

ポライトネス理論

ポライトネス(politeness)は、従来「丁寧さ」、「丁寧表現」と翻訳されることが多かったが「丁寧さ」の意味だけでは捉えきれないので、カタカナ表記されるようになった。
 プラウンとレビンソンのポライトネス理論
 フェイス(face)を鍵概念とした「普遍理論」として提唱された。
 人間には、ポジティブ.フェイスとネガティブフェイスという2種類の「基本的欲求」がある。
 ポジティブ.フェイスとは、他者に好かれたい、認められたい、他者に近づきたいというようプラス方向への欲求であり、集団へにの帰属の欲求である
 ネガティブフェイスとは、他者に邪魔されたくない、たち入られたくないというマイナスへの欲求であり、束縛からの自由への欲求である。
 この二つのフェイスを脅かないyおうに配慮することがポライトネスである。
 相手のポジティブ.フェイスに訴えかけるストラテジーを「ポジティブ.ポライトネス」、ネガティブフェイスを配慮するストラテジーを「ネガティブ.ポライトネス」と呼ぶ。
 ポジティブ.ポライトネスには、冗談を言うことや仲間内の言葉を用いることが含まれている。
 日本語の敬語体系は他人のポジティブ.フェイスを尊重し、それに配慮したネガティブ.ポライトネスを遂行する志向性があるので、ネガティブ.ポライトネスの表現である。

2012年2月6日月曜日

2012年1月11日水曜日

中間言語

中間言語とは、母語とも目標言語とも異なる学習者特有の言語体系であるとコーダーによって定義されている。目標言語の運用という視点から、中間言語は言語知識とその知識の処理体系とに区別されている。
 言語知識についていくつかの区別がある。
1:顕在的知識と潜在的知識
 顕在的知識とは言葉で説明できる知識、潜在知識とは言葉で説明できない直感的な知識だ
2:宣言的知識と手続き知識
 宣言的知識とは事実についての「わかる」にかかわる知識で、手続き的知識とはその遂行を直接導く「できる」にかかわる知識
3:事例的知識と規則的知識
 事例的知識とは定式的な表現項目として処理され、記憶されている知識で、記憶システムとしては大きくて、アクセスが速い。規則的知識はと表出や理解の際に使用される言語規則の体系的な知識である。
 処理体系は統制的処理と自動的処理に区分している。
1:統制的処理は処理過程に注意を払いながら行う処理で、時間が与えられば正しく答えられる場合である。
2:自動的処理は処理過程に注意を払うことなく行われる処理であり、とっさに聞かれてもすぐに正しく答えられる場合である。処理過程を自動化するためには、その処理を繰り返し体験させる相当な量の練習が必要といわれている。