言葉の実際に使われ方と、それが聞き手にどのように伝達され、解釈され、話し手との相互行為に影響を与えるかにかかわるさまざまな研究は、語用論と呼ばれる。
「コミュニケーションは文法的な知識のみによっては達成できない」という考え方は、語用論に共通している。文法以外にも、パラ言語、非言語、コンテクスト、社会言語学的知識、社会文化の知識、コミュニケーション参加者間の相互交渉など要素がコミュニケーションの達成に関連している。私たちは、協調的な社会生活を行うために、一定の基準を共有し、それをしたがって行動している。これによってグライスは「協調原理」を提唱した。日常の会話は、以下の四つの公理に基づいて行われている。
(1)量的公理:必要とされる情報を与え、必要以上には与えない。
甲:これは何ですか。
乙1:用紙です。
甲:何の用紙ですか。
乙2:日本語教育能力検定試験の申し込み用紙です。
__乙1は、甲の知りたい情報をすべて提供していない、量の公理に違反している。
(2)質的公理:真実でないこと、十分な証拠がないことは言わない。
甲:日本語試験はいつですか。
乙:(よく知らないのに)2月28日ですよ。
__乙は甲に対して、その情報を知らないのに答えている、質の公理に違反している。
(3)関係的公理:関連のないことは言わない。
甲:今晩、飲みに行きませんか。
乙:明日、試験なんです。
__乙の答えは、言葉の表面的意味からは関係的公理に違反している。実際には甲の誘いと関係が付いている。この発話に関連性があるとすれば、何らかの含意が含まれているはずだ。すなわち「明日試験です」という理由の後には、「今夜は勉強をするから飲みにいかない」が隠されている。
(4)様態の公理:不明確、あいまいな表現を避け、簡潔で順序だてた話方をする。
甲:電車と自動車が衝突した。電車の運転手が気絶した。
乙:電車の運転手が気絶した。電車と自動車が衝突した。
__甲と乙も、実際に起きた出来事を「客観的に」「正確的に」述べている。しかし、甲の主張は「衝突したから気絶した」、乙の主張は「気絶したから衝突した」と解釈されて、同じ出来事なのに、因果関係が正反対になる。したがって、甲か乙のどちらかが様態の公理に違反している。
言葉の推論は瞬間的に行われ、表現が慣用化していることもあり、推論の過程が意識にのぼることはあまりない。また、背景となる社会や文化が違えば、推論の過程や含意の理解のしかたも違う。この認識が十分でないため、外国語学習者と母語話者間で誤解が起こったり不快感を感じたりすることがある。教育では、以下のようなことを心にとめておく必要がある。
(1)辞書の意味や文法知識のみではなく、状況に依存したことばの意味に注目すべきだ。
(2)言語事象の理解や受容には、学習者の社会的な背景が大きく関与するため、価値観の押し付けにならない教育が必要だ。
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