2012年3月6日火曜日

言語習得論

1950年代から60年代にかけて、言語習得についての研究が本格的に行われた。当時、言語習得は、行動心理学と構造言語学を背景にし、刺激.反応のよる習慣形成であると考えられた。特に外国語習得は単なる成人言語の模倣であり、学習者の誤りは母語の負的な影響による生じたものであると認識された。
 1960年代後、Corderは、「誤り」が負的現象であるとまったく異なる主張を提出した。つまり、「誤り」は回避されるべきものではなく、言語習得の面において、不可欠な段階であるという観点である。例えば、英語母語話者の幼児は、動詞の過去形の習得過程で一定期間、不規則的な変形(go-went)を規則的な変形(go-goed)に使い違うことがよく発生する。これは、言語学習が明らかに成人言語の模倣ではないことの証拠である。このように、対象分析仮説は、誤り分析仮説に代わられた。誤り分析仮設は、誤りの多くが言語習得の発達段階における体系的なプロセスであることを指摘している。
 この誤り分析仮説には理論的背景として、チョムスキーの変形生成文法がある。チョムスキーは、人間には、抽象的な文法規則の習得を促す「言語習得装置」はあり、言語発達には、普遍性があるはずであるという仮説を立てた。その仮説によると、人間は、うまれつき脳のなかに「普遍文法」(英語、日本語、中国語などとは異なる)を揃えていて、わずかな「言語インプット」と接触することによって、その文法を修正しながら、目標言語の文法を完成させていくのである。
 最近まで、言語習得は外界からの刺激に対して反応が繰り返される習慣形成説によるか、習得中の言語に関して仮説を立てて、その仮説を絶えず検証しながら習得する生得説によるかが議論の中心であった。しかし、今は、この生得説を抜きにして言語習得を語ることはでっきない。

出典「日本語教育事典ーE言語.言語教育研究の方法」

2012年3月5日月曜日

言語の構造

言語にはいろいろな面で構造と呼べる性格が存在している。それについて、次の二つの特徴を指摘することができる。
 第一は、言語の世界の要素にはさまざまなものがあり、それらは互いに直接的に、または間接的に関係をもって、まとまった存在をつくっていると考えられる。これは、言語だけではなく、常識的に考えた場合の構造というものの一般的特徴である。
 第二は、言語において認められる構造は、単なるいくつかの要素から成る構成物ではなく、ある働きを行う仕組みであるということである。その働きとは、あることがらについての情報を言語記号の形に変換して表現する、そして表現された形から内容を把握するという一種の情報処理の過程である。
 日本語の語彙構造とは、言語を語彙、文法、音形、表記、談話、言語行動、待遇表現などの諸分野に分けて、それぞれの構造を取り上げることである。日本語の文法構造は、言語(全体の、または分野別の)における伝達の仕組みの一般的な枠組みないしは型をなす側面を対象とする。
 言語について、体系、組織、機構など構造に類似した意味でつかわれる概念がある。それらは構造と共通点もあれば、異なる点もある。たとえば、構造と体系は「対象とする言語の一般的な伝達のしくみ」を問題とする時は、両者とも使える(「日本語の構造」、「日本語の体系」)しかし、具体的なある文の文法的構成については「文の構造」といっても、「文の体系」とは言わない。

言語の単位

言語の単位とは、言語の分析、記述の方法のなかで、言語を構成する基本的な要素として設定されたものである。音声の分野での単音、音節、文法における形態素、単語、文はその典型的なものである。
 よく知られているよに各言語分野では各種の単位が使われている。次はその一部を挙げる。
 (1)語彙関係:形態素、単語、各種の単語の結合体など
 (2)文法関係:形態素、文節、句、節、文など
 (3)音形関係:単音、音素、音節、拍、モーラ、発話段落など
 (4)表記関係:個々の文字。漢字の場合では偏や旁などの部首の部分も単位と見ることができる。そのほか句読関係の記号そのほかの補助記号がある。
 (5)談話(文章)、言語行動関係:文、書かれた文章や音声言語による談話のさまざまなまとまり。言語表現、非言語表現を含む伝達の行動のまとまり。
 こうした言語についてのさまざまな単位の中で、長く間使われてきて定着されたものがいくつある。例としては、語彙や文の分野での文、単語などが挙げられる。ただし、名称として同じものとしても、その内容についての、定義や、実際の言語資料の例に適用される単位認定の方法は、研究者によって必ず同じものではない。一般的に、各分野でどの名称の単位を設定するかは、研究の目的.観点によって、言語の単位のそうした相対性に留意すべきだ。

2012年3月3日土曜日

言語理論の流れ

1草創期の言語学
 言語理論の起源は、ギリシャ.ローマ時代に辿ることができる。世界的に見えば、メソポタミアにおける辞書編纂、インドにおけるパーににのサンスクリット文法学(前4世紀)を配慮すれば、長い歴史をもっている。
 「言語学」という名称が十九世紀の初頭に登場した。フランツ.ボップが「サンスクリットの動詞活用組織について」の発表をきっかけに、言語が言語として純粋に対象とされるようになった。近代の言語学を確立するのは1816年以後のことともいえる。
 ボップたちが築いた草創期の言語学は「インドーヨーロッパ比較言語学」に名づけられる。この学は、英語人インド学習者ウィリアム.ジョーンズの説に触発されて生じた。彼は、インドの聖典に使われるサンスクリット語はギリシャ.ラテンの古典語やゲルマン.ケルト語と同じ源と主張していた。ここから、各国語の比較、ルーツ探し、親族関係の解明などが行われ、言語学は学問として成立するようになった。
 2:ソシュールの言語学
 ソシュールは比較言語の根底を疑い始めた。彼によれば、比較言語学は「言語とは何か」「言語の基本単位は何か」「言語の体系はどのようなものか」といった本質に触れなかった。
これに対して、ソシュールは「一般言語学」という領域を設定する。彼は、言語活動を「ランがージュ」、言語体系を「ラング」、個人の行使する言葉を「パロール」と区分したり、ラングを同時代的に考察する「共時的」視点と歴史に考察する「通時的」視点を区分したりする。言語の体系性と、その体系のなかでのみ規定される言語単位というものに注目し、体系の構造を探る方向と、単位の存在様式を考える方向とに道を開いていく。
3:構造言語学とチョムスキー
 言語単位の研究は「音韻論」を生み出した、その後、言語研究は音韻から語彙、語彙から言語構造へ歩んでいき、「構造言語学」が誕生した。
 かつてアメリカ構造言語学は語彙論的分類の方面にばかりこだわりがちだが、それに不満をもているノーム.チョムスキーが統語論的法則を重視する姿勢を取り出した。
 彼は、言語の具体的なさまざまな現れを「表層構造」、個々人が基本能力としてもつ抽象的記語列を「深層構造」と呼ぶ。後者から前者がどのように実現されるか「樹形図」によって表し、その操作を全体を「(変形)生成文法」と名づけた。

2012年3月2日金曜日

語の共起関係

ある語が文中で用いられるときに、共に用いられる他の語や句などの要素との関係を共起関係という。語の共起関係をみれば語の用法が捉えることがある。共起関係には次のような場合がある。
 (1)どんな格と共起するか:動詞や形容詞が述語になると、ある一定の名詞の格を要求するが、どんな格とともに用いられるかによって用法が異なる。「葉に絵を描く」「葉を抽象的に描く」が表す意味が異なる。「経済状況が厳しい」「学生に厳しい」に「厳しい」の意味も一致ではない。 

 (2)どんな種類の語と共起するか:「丸い顔」と「明るい顔」、前者は形を形容する
修飾語で後者はる気分を形容修飾語であり、異なる意味を表す。「しっかりつける」のように対象の変化を引き起こすことを表す類の動詞と共起した場合と「しっかり見る」のように対象とのかかわりを表す類の動詞と共起する場合では意味も異なる。
 (3)どんな表現形式と共起するか:「もちろんお金が大切だが、自由的な時間がほしい」のように譲歩形と共起する場合もあれば、「お金がほしいのはもとろんだが、時間の自由な仕事がいい」のように譲歩節と共起する場合もある。
 (4)そのほか:「全然」は「全然面白くない」など否定の形式と共起するほか、「全然ちがう」など否定的な意味を表す一部の語と共起する。また、話し言葉で「全然平気」などプラス評価の述語とも共起することがある。

出典:「日本語教育事典ー3F語の用法」

2012年3月1日木曜日

形態素

形態素とは、意味を有する最小の言語単位をいう。「足跡(あしあと」の「足(あし)」と「跡(あと)」はいずれも意味を持っている。さらに「あ」「し」「あ」「と」に分けると、意味を持たない形式になる。それゆえ、「足」と「跡」は形態素であり、「あ」「し」「あ」「と」は形態素ではない。また、「本棚(ほんだな)」は「ほん」と「だな」二つの形態素から成るものである。「だな」は「棚(たな)」と「ほん」と結合して音形が変化したもので、語彙的な意味は変わらないので、「たな」と同じ形態素と考えられる。
 単独であるいは二つ以上の形態素を結合した語もあれば、単独で語となれない形態素もある。(1)付属語(助詞.助動詞)、(2)接辞(接頭辞.接尾辞)、(3)造語成分としての字音語(「医者」「校医」の「医」)(4)実質的な意味を持っていて接辞といいにくいが造語成分ともやや違うもの「積極.民主など」
 外来語の形態素には、日本語で独特な意味を持たせるもの(「マイカー」)と原語の一部が日本語で形態素となるもの(「バイト代」)がある。
 原則として形態素が意味を持つ言語単位であるが、複合語や慣用句には意味が明瞭でない要素(「すき焼き」「めくじらを立てる」)もある。これらは「無意味形態素」と呼ぶ。複合語や慣用語が要素の組み合わせ全体で意味を表すので、中の要素の意味が希薄であってもかまわない。